例えば、のどが渇いたと感じるとき。
コップに入った水を見て、のどが渇いたのでそれを取ろうとしますね。
そして、コップに手を伸ばす。
すなわち、「のどが渇いたので、コップに入った水を飲もう」と考えてから、
コップに手を伸ばす。
確かにそのようにしていると思われるでしょう。
ところが現実は違うのです。
脳の働きを測定出来る器械をつけて分析すると、
脳が「のどが渇いたので、コップに入った水を飲もう」と考える0.5秒前には、
手はコップを取ろうとしてすでに動き出しているのです!
17日の朝日新聞に載っていた、養老孟司先生の話しです。
すなわち考えは後知恵なのです。
いつも自分は「先頭」だと思っていますが、
実は考えに先立つ0.5秒前の世界があるのです。
さて、どんなことでもいい。
自分をいらつかせるような出来事が起こったとしましょう。
あなたは、その原因に向かって怒りをぶつけるでしょう。
「あなたがちゃんとしないから」
「こんなことならするんじゃなかった」
「一体なんでこんなことが起こるのか。私が何をしたというのか。」
それは、その原因こそが、イライラの原因だと考えているからです。
ところが、実際にはこれらの怒りの原因に先立つ、
0.5秒前の世界があるのです。
何か出来事が起こる。
すると自分の中から過去に根ざしたエネルギーのかたまりが突き上げてくる。
これが、0.5秒前の世界です。
少し横道になりますが、床屋さんの厚いタオルの話しをしましょう。
ひげ剃りが終わって、厚いタオルで顔を拭いてもらうのは気持ちのいいものです。
もし、そのタオルの温度が、ちょうどいいならね...。
客:
「あちちち!おっちゃん、なにすんねん。顔やけどするやないか!
何じゃこの熱いタオルは!」
床屋のおやじ:
「そんなこと言うたかて、わしかて持ってんの熱いですがな。」
なにか不都合なことが起こったとき、
私たちの中には、過去に根ざしたエネルギーのかたまりが突き上げてきます。
これは、熱いタオルのようなもので、自分の中に持っていたくない。
だから、周りの誰かに、何かに、投げつけたいのです。
私たちは「頭にくる」という表現を使うじゃないですか。
あれは、このエネルギーのかたまりがすでに頭にまで上ってきて、
そこでいろんな原因を考え始めている状態を言います。
何気なく使っている表現ですが、状況を実に的確に表しています。
もし、私たちが「頭にくる」前の、
0.5秒前の世界の中で、
突き上げてくるエネルギーのかたまりを「そのまま」見つめることが出来るのであれば、
それは「頭にくる」前に、そこで動きを止めるのです。
すると、どうなるか。
あなたは自分の大切なエネルギーを、じゃじゃ漏れにしなくてもよくなるのです。
私たちが怒っているとき、恨んでいるとき、悲しんでいるとき、
私たちのエネルギーは体を離れ、
私たちはエネルギー的にカラカラの状態になります。
その原因は、あの人に、こんな環境にあるんだ。
あなたの内側で叫ぶ声があるでしょう。
しかしながら、いままで一度だって、
少なくとも外側の原因を見つめるほどには、
0.5秒前の世界に意識を向けたことはないはずです。
もし、そこに意識が向き始めるのであれば、
あなたは自分の中心を奪われることなく、
今のようにエネルギーを漏らすことはないからです。
0.5秒前の世界に無意識で、
そのかたまりがいよいよ頭まで上ってきたときに、
エネルギーは漏れるのです。
これは、怒りをこらえること、ガマンすることではありません。
ガマンとは、
既に頭にきているのに、ただそれを外に向けて表現してない状態です。
中心は奪われていますし、
エネルギーも漏れています。
その前に、0.5秒前の世界の中で、
自分の中に立ち上がってくるエネルギーのかたまりを、
そのまま見つめること。
この0.5秒前の世界の中に、
あなたの人生を変える鍵が隠されているのです。
PS: 0.5秒前の世界について、少し違った角度から、
ポッドキャスト「
今日のエンパワメント」の中で父が話しをしています。
あわせてご参考に!